イラスト原画展(新美南吉記念館)

 

 

イラストレーターさんから招待券をいただき、新美南吉記念館へ。

 

「ごんぎつね」で知られる新美南吉記念館は、前から訪れたいと思っていたので、

 

機会があってよかったと思う。感謝です。

 

印刷関連の仕事をしていると、刷られた絵の原画には興味がある。

 

どんなに印刷技術が発展しても、やはり原画には敵わないだろうし

 

印刷物と原画を比べるのは、仕事上でも必要と感じている。

 

 

 

 

 

ごんが、ウナギを狙う姿がデザインされている時計のポール。駐車場から撮影。

 

このウナギを逃がしたいたずらから、悲劇の話しが始まる…

 

 

 

 

ちょっと分かりづらい原画展のタイトルだったが(なぜカタカナかな?

 

※ 私の勉強不足…南吉の草稿はカタカナだけのお話が多いので…でしょう)

 

原画の展示には、解説ボードが添えられて、使用画材も表記され

 

丁寧な見せ方に好感が持てた。各イラストレーターが南吉の詩に

 

インスピレーションを受けたコンセプトも表記してあり、

 

また、印刷物も別展示してあるのも、違いを比べられて参考になった。

 

 

 

 

記念館は、南吉のお話を子どもたちに分かりやすいよう

 

立体のジオラマなどで展示してある。子どもたちの目線を考え

 

低い位置にディスプレイしてあるのが、大人にはちょっと辛い。

 

ただ、大人も子供目線になって、あるいは子供と一緒にしゃがむ行為を

 

強いることも想定内の設計なのだろう。

 

 

 

 

床もゆるやかに傾斜しており、バリヤフリー?意図なのか。

 

 

 

 

お葬式のシーンが印象に残ってるジオラマ。棺桶は桶になっているし

 

頭を垂れた姿が、母を亡くした感情をうまく表現している。ごん目線か、彼岸花も咲いてるなぁ。

 

魚を捕る仕掛け網も正確に表現されてる、いたずら中のごんのジオラマ。

 

お話しの順番を間違えました。

 

 

 

 

展示では南吉の実物大の姿が、少年期から各所に佇んでいた。

 

歳をとった姿がないと思ったら、29歳で病に倒れ亡くなったのこと。

 

4歳の時に母親を亡くし、ごんも母親を亡くしているし、

 

物語の中で兵十も母親を亡くす。自らの出来事が物語に

 

反映されているようだ。寂しい話しだが…

 

 

 

 

缶バッジ制作のワークショップもあり、楽しそう。

 

娘のいる男やもめには、昔ちょっと辛い光景だった。

 

 

 

 

グッズショップを横目に、喫茶コーナーで最後は一休み。

 

この日は、事務所の先輩を誘ってのドライブだったが、

 

親父二人では話しは盛り上がらず、いつものように先輩は

 

だれかれかまわず話しかけていた。

 

 

 

 

コーナーを見回してみると、ごんぎつねがそこかしこに。

 

コーヒーカップは児童が描いた絵だろうか。クッキーもきつね顔だ。

 

 

 

 

記念館廻りにも、いろいろなキツネの姿が。

 

お地蔵様の後ろから覗いているごんは、自分の償いが

 

神様のほどこしと、間違えてしまった兵十を見ているシーンだろか。

 

 

 

 

寂しい話しだが…ごんが目を閉じたままうなずく、有名なラストシーンの

 

草稿は「権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。」であるそう。

 

自分のいじわるで、兵十の母を死なせてしまったと思い、

 

そのつぐないの行いも、神様のほどこしと勘違いされてしまう。

 

勘違いで撃たれても、贖罪の気持ちが伝わり、最後はほっとしたのでしょう。

 

自分の気持ちが、相手に伝わらないのは辛く苦しいですが、

 

それだからこそ伝わったときの嬉しさは、報われた気持ちになる。本当は

 

報われなくても、幸せを感じるようにならないとなのだが…なかなか

 

 

 

 

散歩中の親父にも話しかけてる先輩。そういえば先輩は最近

 

長年連れ添った愛犬を亡くしたばかりだった。

 

柴犬にはそっぽを向けられているみたいだが…あ〜違うか?!

 

お尻を向けているのは親愛の証かぁ。背中がちょっと寂し。

 

 

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