母が撮った写真

 

 

母の日に、昔お世話になった伯母の葬儀があり、従兄と話しているうちに

 

胸がつまり、帰ってから古いアルバムを開きました。

 

今から半世紀ちょい前のモノクロ写真…二眼レフカメラ、フィルムは6×6サイズです。

 

我が家は、母が記録写真を撮っていました。フィルムも、現像、プリントも高価なので

 

家族の記録写真ばかり。イメージフォトなどもったいないと思う時代です。

 

私の写真ばかりですが、あしからず。

 

 

 

 

 

父と私です。おそらく九州小倉の街です。しめ飾りが見えるので、

 

お正月でしょうか。自転車の子供用補助座席を持っていますね。

 

着物(どてら?)にマフラー姿。今では、見られない格好ですね。

 

私はミトン手袋でしょうか。無くさないように紐がついています。

 

背景の電柱も木製で、配線もシンプルです。

 

 

 

 

小さい頃の写真を見て思い出すことができるのは、

 

このクリスマスプレゼントを、沢山いただいた写真ぐらい。

 

たしか伊勢湾台風の被害にあった実家へ、母が手伝いに行ったときです。

 

伯父さんの家へ預けられた私は、周囲の不幸もわからず

 

プレゼントに歓喜しています。この頃はブリキのおもちゃが主流。

 

空飛ぶ円盤のおもちゃを階段から落とし、

 

べそをかいた記憶も残っています。

 

 

 

 

書道教室の集合写真…真ん中で笑ってるのが私です。

 

女子も男子も、おかっぱ頭。流行?床屋さんはラクしていたのかな。

 

縁側に座っています。アルミサッシもまだ普及していません。

 

巨人・大鵬・玉子焼き…関東なので、ジャイアンツ帽かぶっています。

 

左の私は、母お手製のユニフォームだったのかな。

 

 

 

 

頭に載っけたのはマクラですね。鉄人28号の雄叫び、バンガォ~ポーズです。

 

このころから、メカニックなヒーロー好きになったのでしょうか…。

 

転校しても、零戦と28号が描けたのでイジメられませんでした。

 

野球もやっていたので、すぐ友だちが出来ました。

 

 

 

 

夏休みには、関東(茨城・群馬)から母の実家へ遊びに来ていました。

 

従兄たちと海の家へ泊まって、小学生を謳歌してた一コマです。

 

恥ずかしのヤンキー(やんちゃなキッズ)だったのかなぁ。

 

この後、6年生の卒業間際、このポーズの左手を複雑骨折…。

 

プロ野球への道を断念して(^_^;  いつのまにか卓球部に入っていました。

 

バックは漁船でしょうか?釣り船かな。

※海外の資料写真より

 

 

二眼レフカメラの、上のレンズは上部のスコープに、

 

撮影画像を映すためだけに付いています。なんとも贅沢ですが、

 

今のデジカメの液晶画面を見て撮るのと、なんとなく似ていますね。

 

ただ重いし大きいし、消える運命になりましたが、

 

フィルムが大きいので解像度がいいのにビックリです。

 

今のカメラも、未来は眼鏡のように小さく軽くなるのでしょう。

 

あっ、もうありますね。


 

 

 

 

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