逆光

 

 

フィルムで写真を撮っていた頃、説明書には逆光は避けましょうとあった。

当時は記録写真のために、カメラを使う人がほとんどだったので

顔が真っ黒になってはで、当然のアドバイスだった。

もちろんカメラ背面にモニターもなく、現像するまで写りを

確認することも出来なかった。

今はその場で確認はもとより、後からアプリで調整も可能だ。

逆光だろうが、多少暗かろうが、注意もせず気軽に撮れる時代になった。

 

 

人間の目は便利に出来ていて、ピントはもとより光の量も

瞬時に調整してくれるので、逆光の写真のように

実際は、手前をシルエットのように見るのは難しい。

 

 

写真は人間の目のように、部分をそれぞれ最適な露光で

撮るのは一度にはムリなので、明るい部分か暗い部分の

どちらかの光を選ぶことになる。一番明るい部分を選べば、

昼間でも背景を黒く塗りつぶすコトが出来る。

 

 

逆光の反対は順光だが、普段人間の目は、暗い部分を出来るだけ

明るく見ようとする。モノをシルエットで見ようとはしないので、

逆光の写真は、作られたようで新鮮に感じるのだろう。

 

 

物事も、普段の視点から逆に見てみると、同じように新しいことが

発見出来る。考え方も逆光と同じように、影の部分が

気になるから心配性なんだろうなぁ。

 

 

小さい頃は、世の中を順光で見るのが精一杯なので、撮影と同じく失敗、

失態を恐れ視野も狭かった。大人になると逆光の危うい魅力に

気づくが、それとともに不安要素も増してくる。しかし

逆光写真と同じく、影の部分が主役になる時に美しさを感じる。

 

 

若い頃は、怖いモノ知らずで、お互い馬鹿を言い合えたが、

歳を取ると責任も増え、本音を言い合える仲間も減ってきた。

一日、挨拶だけで終わってしまう日もある。

影の部分を共有でき、お互い励まし支え合えるパートナーが

居れば、心配事は半減し、歓びは倍になるのに。

 

 

きれやすい老人にはなりたくないが、大したこともないのに

腹が立つことがある。そんな時は逆光になって見る。第3者の目だ。

我慢できるのは、グチをこぼせる先輩が居るのがありがたい。

 

 

酒も生きるために有効なのだろう。悲惨な事故の原因にもなるが、

程よく酔えば、ストレスも減り心もスッキリするのだろう。

下戸の私には解らないが、卓球で死にものぐるいで試合をした

後の、トランス状態に近いと思っている(何度も死んでる…)

 

 

男は、一緒に仲良くゴールしてはいけないのだろう。

本能は弱い者をたたき、強い遺伝子を残す仕組みだ。

これを解消するには、スポーツで平和に戦えばいい。

負けても本能にまかせれば、また戦う意欲が湧いてくる。

試合に負けた次の日は、もうやめてやると思っても

次は勝つぞと、闘志はまた蘇る…

ん?逆光のことがどこかにいってしまった。

光があるから影もできる。影を作るにはまず光が必要か。

 

 

 

 

 

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